2008年10月発行・会報第8号に掲載された、瀧澤会員の講演会の記録を掲載します。
1.「現代社会におけるオリンピック運動」
瀧澤康二会員 国際体操連盟副会長、日本体育大学教授
1 テーマについて 皆様、こんばんは。いまレジュメを配布させて頂きましたが、それに沿って話が進行するかどうか、不安な気持ちです。関さんから本日の講演の依頼を頂いた際、先ほども触れましたが、日頃ご無沙汰をしており、そのお詫びの意味をこめてお引き受けした次第です。私にとりましてはこういう機会に専門の話をさせて頂くのは、光栄なことで、感謝しております。
そもそもこういうテーマで講演することの意味ですが、オリンピックという言葉、違う表現をするとメディアにおけるオリンピックというようにとらえてみると、そのメディアが現代社会に想像もつかない影響を与えているという背景があると思います。この「現代社会におけるオリンピック運動」というテーマも、その意味で、運動という言葉を付け加えたことについても説明をしなければならないと思います。
2 オリンピズム なぜオリンピックという言葉が世界中で人気を博するようになったのか。もともとは近代オリンピック競技大会―-これは、正式名称です。ドイツ語ではOlympische Spieleです―が、なにゆえにフランスのCoubertinによって提唱され、IOCという組織が創られたのか。もともと、これは、世界にスポーツをオリンピックという言葉でアピールする狙いがあったわけです。IOCは、現実としてもその狙いで存在していると理解してよいと思います。しかし、その中身がどうなのか。これが大きな問題です。ある意味では、世界中のひとにオリンピックという言葉を知ってもらったり、あるいはスポーツの中身を知ってもらったりしているということは、非常に肯定的に捉えてよいことだと思われます。Coubertinは、最終的に世界平和に貢献するということを言っています。このCoubertinの述べた事柄は、一般的にオリンピズムと言われています。具体的には、オリンピックは、スポーツあるいは文化といわれるものの本来的な意味を世界中の人によく知ってもらうために考えられたものなのです。しかし、それがうまくいかないわけです。
3 ドイツスポーツ大学 1947年に、Carl-Diemが中心になって、ケルンにDeutsche Sporthochschuleが創設されました。私が1965年にそこに留学したときには、Carl Diemさんは、すでに亡くなられていましたが、大学の前の通りにはCarl Diem Wegという名前が付けられていました。いまは、Carl Diemさんは、どうもナチスとの関わりが強かったというので、かなり批判されて、その通りの名前も消えつつあるようですが、1936年のベルリン・オリンピックのときの事務総長でした。そのオリンピックがあまりにも政治色が強かったということで、あちこちで批判されたわけです。Carl Diemさんは、聖火リレーを考案した人ですが、体育には非常に造詣の深い方でした。戦後、ベルリンには体育教師を養成する大学がありましたが、西の方には、それがほとんどなかったので、ケルンにSporthochschuleが創られたわけです。ドイツの大学は州立大学ですから、Deutsche—という名前は少しおかしいのですが、戦略的な意味はなかったようです。しかし、どさくさに紛れてついた名前があとで外すことができなくなって、そのままになっていると聞いたことがあります。
4 国際オリンピック・アカデミー 1896年から始まったオリンピック大会は、Coubertinが本来考えたこととはあまりにも違う方向に進んだために、Carl Diemさんも心配されたのでしょう。そいうことを軌道修正するための機関を作らなければならない。IOCだけに任せておくととんでもないことになるということで、1961年に国際オリンピック・アカデミーを創設したわけです。これは、ギリシャ—古代オリンピックの聖地—オリンピアに本部をおいて毎年セッションを開催しています。私は、たまたまドイツにいるときに第9回のセッションに参加しました。そこで、基本的な考え方を植え付けられて今日に至っているような気がします。
5 留学 私は、東京オリンピックのときは大学4年生で、現役の体操選手でした。実は、私は、オリンピックに選手として出場したいという思いで、日体大に進学したわけです。その夢は叶えられませんでした。当時、強い選手がたくさんいて、私は補欠にすらなることができませんでした。もっとも当時学生で体操選手としてオリンピックに出場したひとは、1人もいませんでした。東京オリンピックが終わる頃に、日本でもだんだんと国際色が出てきて、スポーツ選手でももし関心があれば留学を許すよという話がありました。そういう状況の中で、私も留学させて頂いたわけです。
私は、本当は体操を止めるつもりでドイツへ行ったのです。しかし、「止めるなどということは、ドイツではあり得ないよ。おじいちゃんもおばあちゃんも逆立ちしているではないか」とさんざんたしなめられました。私は、そういう状況を見て、考え直しました。そして、そのまま引きずられて毎日練習しているうちに、「ドイツ選手権に出場しなさい」と薦められ、またいろいろな大会に出させて頂きました。当時日本は強かったですから、私もドイツ人に負けるというようなことはなくて、大会に出場するたびに優勝したりしていました。そのうちに、当時スター気分になりました。芸は身を助けるというのはこういうことなのだと思いました。私は、最初は2年ほどで帰国する予定でしたが、最終的には5年間の留学生活を送りました。そのうちに、私は、ただドイツにいるだけでは能がないなと思い、教師の免許をとるコースで学びました。日本でも体育教師の免許は持っているのですが、教育のあり方などいろいろな制度を学んでみたいと考えたわけです。最終的には、Diplom–Sportlehrerのライセンスを取得して帰国することができたわけです。その後、いろいろなことを学んでいるうちに、こういうスポーツの哲学という分野で講義をするようになったわけです。そういうことを含めて残り時間に話をしたいと思います。
6 オリンピック運動 レジュメには記載してありませんが、キーワードとして「オリンピック運動」という言葉を用います。まさにCoubertinは、スポーツという身体運動は世界平和に貢献するという意味があると言っていました。私どもはそれを称してオリンピズムと言っています。その内容をわかりやすく説明すると、スポーツ競技を通じて、練習により身体や精神を鍛えることができる。そういう鍛錬を通して人間としての人格、全人としての人間形成を図ることができる。またそれにより一般に言われているスポーツマンシップが身に付く。すなわち、相手と競争しているうちに相手の苦しさ、相手がどういう悩みを持っているかということまで考えることができるようになるだろう。そういうことがお互いに助け合いをすることにもつながっていくだろう。だから、教える方も学ぶ方も、そういうことを意識しながら自らを鍛えて行けば、自ずと世界中の困っている人たちに対して手をさしのべるような心が芽生えていくに違いない。そこで、こういうスポーツ活動をそういう目で捉えて世界中に広めて行きたいということです。Coubertinの考えたそういう考え方をオリンピック運動、ドイツ語でOlympische Bewegungというわけです。
7 アマチュアリズム Coubertinは、それを実践するにはやはりきっかけが必要だ。その手段として世界的に一番大きなイベントとして近代オリンピックを古代オリンピックにちなんで4年に1回開催しようと決めたわけです。それが、1894年のことでした。Coubertinは、パリに著名な識者に集まってもらい、その賛同をえてオリンピックの復活となったわけです。それは、ある意味では崇高な考え方でスタートしたものと言えるでしょう。しかし、次第に、やはり世界中の人々の注目を集めるためには、世界から強い国に参加してもらわなければならないと考えられるようになりました。当初はアマチュアリズムが強かったために、プロを排除してアマチュアの祭典にするとかいろいろありましたが、よくよく考えてみると、アマチュア思想そのものもイギリスで生まれた差別用語のようなところがあります。また、1970年代の後半から、アマチュアリズムは、スポーツ界から完全に消えてしまいます。どこのスポーツ団体でも賞金制度を作るようになりました。そこのところが、どうもよく理解されないまま今に至っているという状況です。ミスター・アマチュアと呼ばれたIOCのBrundage元会長は、きわめて厳しかったですね。札幌オリンピックのときにオーストリーの著名な選手を追い返したりもしました。そのあとに、Killanin元会長が橋渡しをしたような感じで、スペインのSamaranch氏が会長に就任したときに、アマチュアリズムを一気に突き破りました。1990年に東京でアトランタのオリンピック開催を決めるときに、アトランタとアテネが候補地でした。それは、ちょうどIOC創立100周年にあたるオリンピックなので、一般的にはアテネで100周年のお祝いをかねて開催するべきであろうと思われていましたが、結果的にはアトランタに決まったわけです。スポンサーのコカコーラの影響力が大きかったと見られています。Samaranch前会長は、NHKホールで開催された会議の冒頭の挨拶で「われわれはコマーシャリズムを歓迎する」と堂々と述べました。それについては、私自身も論文を書いたことがありますが、彼が述べたこと自体はそれほど大きな問題ではないと思います。しかし、その理解が不十分で、世界中で「もう何をしてもよいのだ」と考えられるようになりました。また、それをどう修正できるかが非常に大きな問題となりました。
8 スポーツ倫理 それから、以前にも講演のテーマとして取り上げたドーピング問題があります。これもIOCにとっては天敵です。IOCは、この撲滅のためにオリンピックをしているように見えるほどです。選手側から「世界一になるためになぜ薬を使ってはいけないのか」という声も出るようになりました。ドーピングについては、だいたい医学的な見地から薬物禁止が述べられるのですが、スポーツの倫理の立場から発言する人はあまりいません。それで、私はいろいろな会議、研究会等で発言を求められるようになりました。最近は、「どうして早死にするのが悪いのか」と開き直る人もいます。また、人間だれしもそれぞれの価値観、人生観を持っているので、「死んでもよい」というひとがいるなら、それは許されてよいという意見もあります。しかし、私は、「そうはいかない。人間は生物なのだから、生物はもともと生きるために生まれてきているのだから、生物が早く死んでもよいなどという考えは、根本的に間違いだ」という理屈をこねながら、反対意見を述べております。
9 古代オリンピックの意味 レジュメに戻ると、オリンピック運動は、古代ギリシャの祭典競技にさかのぼります。これはオリンピアというところでやっていたのが一番古く、また長く続いたイベントなので、その名前を冠しているのです。しかし、実はギリシャにはほかにも古代遺跡が発掘されており、競技はそこだけで行われたわけではないということも判明しています。神様をまつるお祭りで、なぜ石投げをしたり、レスリングをしたり、ボクシングをしたり戦闘まがいのことを行ったのでしょうか。この疑問についても文献がなくて、きちんと説明することはできません。想像するほかはありません。ギリシャでは、多くの哲学者が生まれています。プラトンもオリンピア祭典競技のレスリングでチャンピオンになっているようです。古代オリンピックが、そういう哲学者を輩出し、また人生をどう生きたらよいかという価値観を真剣に考えてすばらしい文化を創った土地で行われたことを考えると、それは、戦争回避の手段として考えられたのではないでしょうか。すなわち、人間には闘争本能がありますから、古代ギリシャの人々は、当時のポリスとポリスの間のいざこざをさけるという意味で、こういう競争をしてそれを神様に捧げるというイベントを何回もやることで豊かな人生を送ることができるようにと考えていたのではないかと思います。
そういうことをCoubertinも考えて、それは現代社会においても通用するということで半世紀にわたる努力をしたのではないかと思います。それはそれですばらしいものとしてスタートしたのです。しかし、いまやその理念が見えなくなっています。マスメデイアを中心とする新聞、ラジオ、テレビは、その理念を説明しても誰も注目してくれないので、誰が勝ったか、誰が一番強いか、今度は誰と誰が対戦するのかという点を重視して報道してきたわけです。また、我々もこのようなマスメデイアの報道をメインとして捉えてしまっているところに大きな問題があるわけです。
10 科学とスポーツ倫理 ギリシャで生まれた哲学がもとになって、多様な学問が生まれ、進歩を遂げました。ドイツ語では学問のことをWissenschaftと表現しますが、私は、これを知の固まりであると理解しています。それが日本語では科学、サイエンスという言葉に置き換えられています。この学問は、どんどん推進すべきであるとは思うのですが、そのことがわれわれに何か大事なことを忘れさせているように思います。すなわち、人間存在という根元的な問題がそれです。臓器移植等のいろいろな問題で哲学者と科学者が衝突して議論してきました。たとえば、スポーツの領域では、ドーピングの問題があります。また、遺伝子交換が許されれば、誰が競争しているのかわからない社会になりかねないと思います。これも全部科学の力ですので、科学そのものを制御する哲学が生まれる必要があると考えています。そのくらい今のオリンピック競技大会もドーピングに限らず、商業化してしまっています。
私が体操協会の副会長と専務理事を務めているときに、アテネでオリンピックがありました。その前、シドニーのオリンピックとアトランタのオリンピックで日本体操男子が一つもメダルを取ることができませんでした。私は、どうしようかと思案して、会長と相談して、「どうしても何らかの種目でメダルを取らなければならない。メダルの可能性は男子の体操競技しかないから、会長、そこに特化して予算をつけてください。徹底的にそれをやりましょう」と話をして、その予算措置を理事会に提案してもらったわけです。すると、ある理事から「瀧澤はおかしい。いつもと全く違うことを言っている。メダルをとるためにオリンピックに出場するなどはとんでもないことだと言っていたはずだ」という反対意見が出ました。私は、「いやメダルは、体操協会の目的ではない。ある意味では日本の体操の普及をはかるための手段なのだ」と説きました。どこの団体でも普及をはかるということが基本です。したがって、メダルをとって終わりということではなく、体操普及のためにみんなが協力する必要があるということです。成果としては、銅メダル一つでもよかったのですが、金メダルまで獲得することになり、その瞬間から日本のあちらこちらのスポーツクラブで30%会員が増加した等の報告が集まりました。それがいまだに続いています。
来年の北京オリンピックがどうなるかと、不安はあります。私は、いま国際体操連盟の副会長を仰せつかっているのですが、国内の方は退かせていただいて、多少時間がとれるようになりました。そこで、本日、ここでお話をすることができるようになった次第です。レジュメの最後までいけそうにありませんが、オリンピック大会と政治の問題に触れておきたいと思います。ミュンヘンで大規模なテロ事件が発生し、いまではパスポートだけではあちこちへ行くことができなくなりました。そういうスポーツ界になってしまいました。これは、大きな問題です。しかし、それを是正する力が不足しています。私にもその責任の一端があると思っています。そのようなことで、私は、体操界に首をつっこんでいるのです。
11 体操界のために オリンピックは、東京オリンピックから数えると、今度の北京で12回くらいになります。私は、そのうち8回について選手ではなく役員として参加しました。とくに私は審判活動をしていたのですが、ソウルオリンピックのときに鉄棒の片手車輪が流行しました。当時のソ連の選手が片手で演技をしてチャンピオンになったのです。そのときにこれを放置すると大変なことになると思いました。私は、「片手だけ発達させることはおかしい、体操は本来全身でバランスよくいろいろな運動をして身体のバランスを保つ、しかも安全にということで普及発展をさせてきたのに、これではとんでもない演技が流行ってしまう」と考えて、大会が終わったあとに片手車輪禁止の意見を述べました。そのときにも、「瀧澤はおかしくなったのではないか」とささやかれました。私は、テニスについても片手だけでプレーするのはおかしいと思っています。コートチエンジするときにラケットを持つ手を変えればもっと健康的でよいと思います。まあ、それではおもしろくないと言われるかもしれません。しかし、体操に関してはそれを許してはならないと強く主張しました。「練習すればするほど身体がおかしくなるというスポーツは、あってよいはずがない。近代化というのは、そういうものではない。スポーツを文化と呼ぶのであれば、なおさらそれはやめさせなければならない」と。しかし、それを一気になくするというのは忍びがたいということで、3回まで許すというルールができたのですが、それで、急激にその種の演技は減少しました。私は、そういう一つ一つのことを大切にして行かなければならない。決して傍観していてはいけないということを感じております。
私は、本日、近代化とかスポーツというのは、まさに人間の豊かな人生を送るためにあるべきで、そのためにいろいろなルールを作っているのだということをお話しました。特にここには法律家の先生方が多いので、いろいろとご指導をいただければと思います。ありがとうございました。
